2018年6月14日木曜日

月刊文藝春秋7月号

月刊文藝春秋7月号




今回の文章に出て来る
「純粋な薄情さ」
という言葉が好きです。

2018年6月13日水曜日

瀬戸照さんについて(覚え書き)

昨日、ご縁あって瀬戸照さんのご自宅に遊びに行った。

最寄りの駅からバスで30分以上揺られていくうちに
山や湖が見えてきてちょっとした旅のようだった。

瀬戸さんが最寄りのバス停まで迎えに来てくださった。
小走りで坂を降りて来た瀬戸さんは
角のポストに何かを投函した。
その姿が、なんだかしばらく頭から離れなかった。
バス停からひたすら坂や階段を上がって行く途中、
住宅街の間に更地があった。
去年あたりまでおじいさんが1人で家を建てていて、
基礎から1人で作り、気に入らない部分があると作り直したりしていた。
しかし、途中でおじいさんは姿を見せなくなり
更地になった、と。

瀬戸さんのご自宅に着くと、
奥さまも優しく迎え入れてくださった。
家に入ってびっくりした事は、
瀬戸さんの絵のモチーフが家中に飾ってあった事。
ほとんどがドライになっていて茶色くなっていたけど、
丁寧に、大切に保管されていた。

ベランダからはすぐ近くに山が見えた。
バス停からだいぶ登って来ただけあって
その低めの山は頂上がちょうど目線の高さだった。

瀬戸さんは植物や山や空や動物など自然の話、
作品を見せてくれたり、
社会の話やお金の話もしてくださった。
瀬戸さんは色々な話をしながらも
時間の変化によって変わる山の景色を気にしていた。

作品の裏には制作年や加筆した年号が書かれていて、
制作から加筆まで何年も間があいている作品も多かった。
その時の気分などで仕上がりイメージが変化するそうだが、
「どんどん手を加えて行って真っ黒になるかもしれない。
でもどこか1部分でも黒くない納得出来る部分があればいいよね」
と言った。
そんな瀬戸さんの様子を見て
この人の作品は終わりがないんだと思った。
こんなに何十年も描き続けていても
まだ自分の納得いくものを模索しているんだと思った。
自分はなんて世界に足を踏み込んでしまったんだとも思った。

途中、雨が降った。
雲の流れが速くなったり
雲の隙間から光が出たり
何時間も過ごすうちに
色んな色の山や空を見た。
「ここから雲を見てると掴めそうな気がするよね、
そんな事ありえないけど」
と瀬戸さんが言った。
その言葉を聞いて何となく分かった気がした。
瀬戸さんは時間の経過によって変化していくモチーフを
じっと見つめて描き、
一瞬の何かを掴もうと、捉えようとしてるのかなと。
だから時間の経過とともに完成のイメージは変化して
何年も後に加筆もするのかな、と。
自分の手で個性を引き出そうとしているこれらの絵は
ただの模写でもなく、写真では表せないものが感じられた。

私がスタッフをしているギャラリーでぜひ展示をして頂きたく、
その話もした。
具体的な日程まで決めておきたいと考えていた私にとっては
期待していたようなお返事は頂けなかった。
昔の作品やラフやスケッチををかき集めて
今作画中の大作も途中でもいいから展示したいと
言いかけたが、やめた。
そうゆう事じゃない気がした。

また冬に遊びに来る約束をして
帰る事になった。
帰りは懐中電灯で道を照らしながら
バス停まで送ってくださった。
行きで聞いた更地のおじいさんの話が
絵を描くという事と同じような気がした。

瀬戸さんは以前、私の絵を見ても
技術的なアドバイスはくれなかった。
描き続けなさいと言った。
昨日もそんな感じだった。
「人ってよく分からないね」とか
「なんなんだろうね」とか何度も言った。
あんなにキャリアを積んでいても
30歳以上も年下の私にそんな感情を言うんだと
少し驚いた。
コンペとかで誰かに評価されたり
誰かの作品と比べられたり
クライアントのご機嫌を気にしながら描いたり…
そうじゃなく自分とひたすら向き合って、
世間の多すぎる情報から少し離れながら
自然とコミュニケーションを取りつつ制作している
瀬戸さんのライフスタイルや考え方は
私にはとても居心地がよかった。

私にはまだ瀬戸さんの話の全てを理解する事はできないけど、
今お話が聞けて本当に良かったなと思う。
瀬戸さんを紹介してくださった大久保さん、
大久保さんと話をする機会をつくってくれた1冊の本、
そして何より瀬戸さんに感謝申し上げます。
ありがとうございました。